どうにもならない

自然を前にすると、私たちはあまりに無力だ

生活の中でも日々無力感に襲われる

私が世界をどうにかできる訳でもない

ただ私一人で精一杯なのだ

流れには逆らえず、逆らっても溺れるのがオチだろう

みんなは流れにそって生きているから

無力感なんて感じない

でもあるとき流れが濁流となり暴れ出したら

みんなもきっと気づくだろう

結局なにも変えれやしないって

だからただ生きる、私のために

 

眠れない夜を愛そう

今日は何故だが目が覚めて眠れない

眠れない夜はいつだって、自分と向き合わされる

これまであった恥ずかしいことや嫌なこと

これから先の不安な世界

私が生きている意味

もうそれは答えの出ない強者ばかりが現れる

私はそんな夜が大嫌いだった

でもよく考えてみたら、それは一つの警告だった

このままじゃいけないという

不安になるのは、不安になる生活を送っているからだ

満たされた生活の夜は幸せで溢れている

明日はどんな日になるかと、ワクワクしている

眠れない夜は私に教えてくれていたのだ

ならば愛そうではないか、眠れない夜を

借り物の世界

私はとんでもない勘違いをしていたのだと気付いた

それはあまりに当たり前で、すぐ気づくはずのものであった

この世にあるもの全て、私、私の住んでいる部屋、私のスマートフォン

私の家族、私の友達、私の仕事、私の生きがい

私は全て所有しているという思考に至っていた

でもそれは全て錯覚だ

何故なら全ての物事は自分の思いどうりにはならないし

いつかは全て自然に還らなければならない

でも今の人間社会では所有と言う概念が蔓延している

それは確かに社会を成立させるためには必要かもしれない

しかし幻想にすぎないのもまた事実なのだ

 

褒めるという呪い

相手のここをやめて欲しいとか

相手にこういうことして欲しいと思ったことはありませんか?

正直、期待しないことが一番ですが

それでも避けられない願いです

しかし、強く命令口調で

「こうして!」「なんでできないの!」と言ってしまうと

互いに信頼関係が瓦解してしまう恐れが多くあります

これお互いにとってよくないです

私は相手にしてほしいことは、まず褒めます

私は家で犬を飼っているのですが、しつけの際

自分の言う事を聞いてくれたときには、必ず褒めおやつをあげます

そうすることで、それをする際にドーパミンをださせるようにするのです

人で考えてみると、世の中の仕組みは大体こうなっていませんか?

凡そ人を行動させる根幹には、この構造が使われています

当たり前すぎですよね、でも日常生活でそれを意識して使えていますか?

強く命令口調したり、失敗したら強く𠮟るというのは

ある一定の効果はあります、しかし個人間でそのようなことをするのは

良好な関係を築く上で全く向いていません

相手が良い事をしたら、褒めてあげたりすると

自然といい方向にいくのかもしれません

ここまで読んでいただきありがとうございました

自分を変えたい、でも変えられない

自分を変えたい でも変えられない

という文言をよく見かけます

そもそもの疑問に立ち返ってみます

何故、自分を変えなければならないのか

自分を変えるという行為は、途轍もなく莫大なエネルギーを使います

ということはその行為自体に、大きな利益がなければ辻褄が合わないです

自分を変える理由は、環境の変化です

環境の変化により、余儀なく自分を変化させるのです

もしも適応できなければ、訪れるのは死ですから

つまり自分を変えられないということは、死を意味します

しかし現代社会において、このようなことはあまりありません

環境の変化に適応できない=死は変わりませんが

現代社会は生きる方法が昔より多様になったことにより

一部の環境に適応できずとも、別の環境で生きることが可能になったのです

例えばサラリーマンが向いていない(変化に適応できない)としたら

フリーランスになったり、別の方法で生きることができるのです

これはもちろん昔にも言えることですが

現代ではそれがより大きくなったと言えます

長々と語りましたが、自分を変えることは大きなリスクや代償が伴いますし

何より難度が高いと考えます

それよりも自分を変えずに生きることができる方法を見つける方が

より簡単なのではないかと考えました

しかしこれも一長一短ですので、あくまで選択肢の一つとして覚えておいて欲しいです

最後になりますが、自分を変えられないことに対して自己嫌悪になっている人が

多くいると感じます

前提として、自分を変えることは本当に難しいです

不可能といっても過言ではないです

そして自分を変えずに今も生きていけているのですから

そもそも変える必要性もないです

なのであまり自己嫌悪という非生産的な行為をやめて欲しいと思います

弱いから学ぶ

私は高校生の頃、哲学に興味を持ち始めました

本格的に学び始めたのは最近ですが

デカルト心身二元論から始まり

構造主義ストア派など様々な考えに触れてきました

私が哲学を学び続ける根本にあるものは弱さです

高校生の頃に人間関係や将来に対する不安がありました

それらを受け止めきれない私が哲学を呼び寄せたのだと思います

哲学はどんな時でも心を平穏にする方法を教えてくれます

力は与えてくれませんが、身に着けかたを教えてくれます

私にとって、哲学は革新的でした

私の哲学はまだまだ発展途上です、哲学と言うのは人生を通して学ぶものですから

私の弱さが哲学を呼び寄せました

今思うと、弱さは新たな強さの始まりなんだなと思っています

一貫性

人生において一貫性を持つことは、私は難しいと考えます

理由としては、今日の自分と明日の自分は違うからです

しかし違うことには気付きにくいでしょう

何故なら自分という存在は観念(頭の中のイメージ)であり

姿を現してくれないからです

昨日の自分と今日の自分は同じだと考えるのです

一貫性という言葉は響きは良いです、そして確かに良い点はあります

しかし果たして一貫性を持つことは現実的なのでしょうか?

それよりも今日の自分に合わせることがなりよりも大切だと思います

料理で例えると一貫性を持つということは

毎日カレーを食べるということです、今日はおいしく感じたけれど

明日の自分の口が納得してくれるかは未知数なのです

何故なら今日と明日の自分は違うからです

流れの中で矛盾したとしても、瞬間に矛盾しなければいいのです

昨日、明日の自分より今日の自分です

ここまで読んでいただきありがとうございました