困難はさらなる困難を呼び寄せる

最近、嫌なことありましたか?

生きているうちに数々の困難が訪れ

そのたびに苦悩しています

困難に立ち会ったとき、思わず逃げてしまいそうになります

現に現実逃避という言葉があるくらいですから

思わず困難から逃げたくなりそうな時

このことを思い出して欲しいです

「困難から逃れると更なる困難が訪れる」

困難はさらなる困難を呼び起こします

あなたはハインリッヒの法則というものをご存じですか

それは1つの大きな失敗は29の失敗が起り、

29の失敗は300の小さな失敗が起っているというものです

つまり困難から逃げれば逃げるほど

それは大きな困難の伏線になってしまうということです

ここまで読んでいただきありがとうございました

 

正したい

人間はそれぞれ異なる考えを持っています

自分と違う人の考えだったり

自分からして明らかに間違っている考えに遭遇することがあるでしょう

その時に”正したい”という欲望が現れてきます

いわゆる論破欲です

例えば

神様を信じている人に対して

神様はいないということを力説する人です

仮に論破に成功したとして、そのあとのビジョンは考えているのでしょうか

友達が食べている料理に対して

自分が嫌いだからといって、友達の料理をゴミ箱に捨てているようなものです

そのあと、自分の好きな料理を友達にあげるのでしょうか

その料理が友達の口に合うかどうかも分からないのに

それともゴミ箱に捨てたまま、放置するのでしょうか

どちらにしろ物凄く良くない空気になることは間違いないでしょう

論破というものは、大抵相手の気持ちを考えていません

一方的な快楽にすぎないのです

 

価値観の相違

人は誰しも違います

これは殆どの人が知っている事実だと考えます

しかしそれを分かった上でも

自分と違う価値観を持っている人に対して

少し苛立ちを持ったり、違いを認められないことがしばしばあります

それは人生においてあまり良くないことだと考えます

一つ目は人の価値観は変わらないからです

認められないと苛立ちを覚えたとしても

人の価値観と言うのはその人の集大成なので

そう簡単には変わりません、それはあなたもよくお分かりだと思います

二つ目は自分と違うからといって頭ごなしに否定していたら

全く成長できないからです

自分を成長させるのはイノベーションです

折角の成長をどぶに捨てている可能性があります

他にも様々な理由がありますが、自分と異なる価値観に拒絶反応をしめすのは

結局、他人と自分は違うということに納得できていないからです

これは私の場合ですが、私は個人の価値観を文化と捉えました

私と異なる価値観を持っている人に対しては

「あぁ、この人はこういう文化を営んでいるのだな」と考えてます

価値観を文化に置き換えたら、自分の中で説得力がまし納得することができました

もしも異なる価値観に納得できないときは、何かに置き換えたりすると

案外簡単に納得できるのかもしれません

自分にとって大切なことを明確に

この人生において、自分にとって大切なものとそうでないものを

分別することは非常に大切です

何故なら自分にとって無用なものに時間に費やすことは、人生の損失です

逆に大切なものを蔑ろにしていたら必ず後悔します

このように大切かそうでないかの分別は本当に大切です

ではどのようにして分別するのか

よく言われるのは感情で判断するです

具体的に言うと好きか嫌いかで判断することです

この方法でも十分ですが、少し抽象的で難しいかもしれません

なのでもう少し具体的な分別方法をご紹介しようと思います

あくまで判断基準の一つにすぎないことは覚えておいてください

自分にとって大切なものは、あなたが今一番必要とし、自ら使っているものです

人だとしたら一番会っている人です

ここで大切なのは自分の意志が含まれていることです

自分の意志で物事を使っていたり、会っている人

これらの頻度が高ければ高いほど、大切としてる度合いは高まる可能性が高いです

あなたの最近の生活を振り返ってみてください

少しでも大切の解像度が上がっていれば嬉しく思います

しかし使っていない=大切でないで判断するのは時期尚早かもしれません

多角的な基準を持ち判断するのが肝心です

ここまで読んでいただきありがとうございました!

自分で考えるからこそ価値がある

突然ですがあなたは自分で物事を考え判断し、行動していますか?

この行為は一見簡単そうに見えて、非常に難しいことです

思い返してみてください、今までの人生を

あなたが決断した物事たちは、あなたが考え判断し、行動していますか

他の人にそれらを委ねていませんか

なぜ他の人に委ねてはいけないのか

それは他の人がいうことは

決してあなたのために考えてくれているものではないし

結局、全て責任を負うのもあなただからです

最終的に行動するのも、責任を取るのもあなたなのです

自分で考える、そこに確かな価値があるのです

ここまで読んでいただきありがとうございました

苦難のない人生とは

苦難のない人生と言うと、あなたは何を思い浮かぶでしょうか?

羨ましいですか、そういう人生を歩みたいですか

様々な思いが浮かんでは消えていくことでしょう

まず前提として苦難のない人生はないと私は考えます

人間と言うのは完璧なもので構成されている訳ではありませんから

苦難のない人生とはどのようなものなのでしょうか

少し考えてみましょう

苦難のない人生とはずばり成長しない人生です

もう一つ言うと、何も考えようとしない人生だと考えます

人というのは障害があるからこそ、それを乗り越えようとします

階段をイメージしてください、段差(障害)があるから、上(成長)に上がれるのです

そして苦難というのは、私たちの前に立ちふさがり動きを止めます

そこで初めてこのままじゃいけないと考えるのです

苦難を経験するからこそ、より豊かな人生を歩むことができます

多くの人が今この瞬間にも、苦難と戦っています

もしかしたら今、読んでくれているあなたにも苦難が降り注いでいるかもしれません

苦難とは、決して絶望ではなく、また更なる希望の始まりなのです

ここまで読んでいただきありがとうございました

また読んでくださいね~

普通の幸せの欠陥

しばしば、普通の幸せを得ようと頑張ろうとする人がいます

ここで言う普通の幸せとは

世間一般が幸せと言われているものです

例えば良い大学に入り、安定した仕事に就き、結婚する

みたいな感じです

もし、あなたが普通の幸せを得ることに必死になっているのなら

少し立ち止まって欲しいです

そして自分に一つ疑問を投げかけてください

「私にとっての幸せって何?」と

この普通の幸せには重大な欠陥があります

それは自分で考えた幸せではないことです

もし順当に普通の幸せを得たとしても

それはずっと違和感を感じる幸せとなるでしょう

なぜなら私という主体が抜け落ちた幸せなのですから

ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

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