傷つくことは気づくこと

誰しもが傷ついた経験があると思います

人は何故、傷つくのでしょうか?

私は大切にしているからだと考えます

例えば、地面に生えている雑草と庭で育てている花

枯れた時傷つくのはどちらの方ですか

人にもよりますが、大抵の人は花の方でしょう

それは何故かと言うと、雑草よりも花の方が大切にしているからです

人は自分が大切なもの、人に不都合が起こった時に傷つくのです

人はしばしば、本当に大切なものを見失うことがあります

あなたが本当に傷ついて泣きそうな時、そこで目を背けないで欲しいです

それはあなたにとって凄く大切なものだから

傷つくという感情は、私たちが本当に大切にしていることに

気が付かせてくれるのです

ここまで読んでいただきありがとうございました

 

 

 

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少し投稿頻度を下げます

少し投稿頻度を下げようと思います

理由としてはシンプルでネタ切れです

なので三日に一つ記事を投稿しようと思います

書きたい内容が多くある場合は毎日投稿しようと考えています

私の記事を読んでくれている読者様には感謝の気持ちでいっぱいでございます

 

 

幸福は常に坂道

幸福は非常に脆く弱く掴みにくいものです

幸福を手に入れることは難しいです

努力しなければなりません

願うだけでは手に入ることはできません

幸福は常に坂道です

幸福に平坦はありません、足に力をいれ精一杯に進まなければなりません

進んでいる者だけに幸福が訪れます

少しでも気を抜くと、不幸へと誘われることでしょう

体制が崩れ一気に引き込まれてしまいます

だから私たちは努力しなければならないのです

 

ここまで読んでいただきありがとうございました

 

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愛があるのに争いがなくならない理由

愛とは素晴らしい感情の一つです

人間関係において

お互い愛を持って接することが出来れば争いは起こらないはずです

誰しもが愛する力を持っています

それは人類に与えられた祝福なのです

しかし愛だけで世界は構成されている訳ではありません

争い起きる原因の一つでもあります

今回は愛に着目し争いが起きる理由を考えてみたいと思います

愛とは必ず対象が存在しなければなりません

友達、家族、同僚、恋人、ペットなど

対象は人だけではなく概念にも範囲が含まれます

自然、国家、宗教など

どんな人間にも限界が存在します

つまりすべての対象を愛することは難しいのです

愛は限定的なものなのです

全てを愛することが可能か不可能かはわかりません

しかし多くの人は限定的な愛で精一杯なのです

では限定的だとどうなるのか、愛せない、愛さないものが誕生してきます

愛さない存在と愛する存在が同時に存在することで争いがうまれるのです

愛の最小単位は自己

愛の最大単位は自然だと思います

愛の範囲が広ければ広いほど争いという選択肢は少なくなると考えます

しかしそれが難しいから争いが止まないのです

ここまで読んでいただきありがとうございました!

 

 

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自分以外の期待は徒労

あなたは世界に期待したことはありますか?

「明日は楽しい一日を過ごせるかな?」

「この間買った宝くじ当たっていないかな?」

「新学期で私と合う友達できるかな?」

世界つまり自分以外の外的なものに期待をしたことはありますか?

私はよくしていましたし、今も期待してしまうことがあります

しかしあまり賢明な期待ではないかもしれません

何故ならコントロールしようがないからです

外的なものは私たちにお構いなしに裏切ります

土足で家に来られても拒否できません

何故ならその力を私たちは持ち合わせていないからです

もし外的なものを上手く操れる人ならば期待してもいいかもしれません

しかしそんな人はいません、例外なく

つまり世界に期待する人は自らを首に締めている思います

何故ならどうしようもないことに対して

勝手に期待して、期待した分裏切られたら苦しむからです

最初から期待しなければ、そんな苦痛は味わなくてすむのに

逆に自分に期待することは素晴らしいことです

何故なら自分がコントロールできるからです

外に目を向けるより、まず目を向けるのは内側です

外を信用するより、まず内側を信用してみませんか

ここまで読んでいただきありがとうございました!

少しでもお役に立てれば幸いです

 

 

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野菜は一石三鳥(日常)

最近、健康に関する本を読んで、自分も野菜摂取しないとなと感じました

今までお菓子、ラーメン、ジャンクフード、冷凍食品ばかりの生活に

終止符をうち、野菜中心の生活に代えています

そこで良かったなと思うことが三つあります

一つ目は安いです

もやし、小松菜、白菜、ピーマン、にんにくなど

時期にもよりますけど、量がある割には安く美味しくいただくことが可能です

二つ目は料理する楽しみが増える

野菜を自分で料理して食べる

これほど最高なことありません

頭も使いますし、上手くいけば物凄くおいしいです

達成感も味わえて良い事ばっかりです

三つ目は罪悪感なしにお腹を満たせる

多かれ少なかれジャンクフードなどを食べるとき罪悪感を持って食べてました

しかし野菜を食べている時は微塵も感じないので良いです

ここまで読んでいただきありがとうございました!

また読んでいただけると幸いです

言葉は価値観

この世に一つも同じことは存在しません

木の葉っぱを個々にみると全て違う模様で構成されています

しかし言葉はそれらをある程度同じとみなします

木の葉っぱはまとめて全て同じ葉っぱとみなします

葉っぱ全て異なるから

これは葉っぱA これは葉っぱBといちいち分けることはしません

それは言葉の全てが概念であるからです

概念とは簡単に言うと物事の共通点だけを抜き取ってできたものです

例えば葉っぱは木から生えている、緑、薄いなど

ほとんどの葉っぱに共通するようなものだけを抜き取り意味を形成しています

だからこそ人々は会話することができるのです

本当に便利です

しかしそれによる弊害もあります

言葉はすれ違いを引き起こしてしまうのです

突然ですが、犬を思い浮かべてみてください

何が頭の中で出てきましたか?私は柴犬です

しかし人それぞれ思い浮かべる犬は違います

それは言葉が概念であるからです

あまり意味として具体的にしていないがために思い浮かべる犬に相違がうまれます

環境にも意味が大きく作用されます

トイプードルを飼っているとトイプードルが思い浮かぶでしょう

ブルドッグを飼っているとブルドッグが思い浮かぶでしょう

そして意味の違いは抽象的になればなるほど加速します

幸せ、不幸、悪、善などです

これらは生きている環境が非常に大きく作用されます

言葉は概念であるがゆえに、意味としての幅も大きいため

お互いに伝わっているようで、伝わっていないことが多くあります

しかしそれに気付かないことが殆どです

何故なら自分の中で意味がもう既に決まっていて

それと同じように相手も使っていると考えているためです

その勘違いがどんどん溝を深くしていっているのです

言葉は価値観です

言葉は人の人生にダイレクトに影響を与えます

みんな使っている言葉の意味が同じだと高を括ってはいけませ

外国語なのです、田中君の言葉は田中語、斎藤君の言葉は斎藤語

思っているよりも、言葉の意味には差異があると私は考えます

ここまで読んでいただきありがとうございました